大地周辺(常総・下妻・つくば)おすすめ観光案内
常総市おすすめ観光案内 豊田城・地域交流センター(石下地区)


常総市おすすめ観光案内 長塚節の生家(石下地区)


節は、3歳のころに小倉百人一首をそらんじ、神童といわれ、早くからその才能を発揮していました。また父は、県会議員を務めたほどの名士で恵まれた家庭環境でしたが、病弱な体で、水戸中学を中退。病を癒すかたわら、すぐれた感受性から、短歌に目覚め、正岡子規の門をたたきました。
子規のところでは、「馬酔木(あしび)」の編集同人として活躍する一方、伊藤左千夫とともに、「アララギ」を創刊し、頭角をあらわしてきました。一方で、病気療養を兼ね、菅笠、草鞋という軽装で諸国を旅し、旧所、名跡を訪ねて歌を詠みました。歌人として名を成した節は、夏目漱石の推挙で小説「土」を発表し、作家としての名声も手に入れますが、歌同様そこにはやはり厳しい自然への洞察力とともに人間への深い愛情がいかんなく発揮されています。それは節を育んだ石下の風土と深く結びついているように思われます。
病魔に冒され、婚約を破棄した節は、諸国を歩き、遠く九州の地で、36歳という短い生涯を閉じました。節の精神は節の小説や歌とともに受け継がれ、現在旧石下地区では、生家近くの県道沿いなどに歌碑が残り、その生家は、県の指定文化財となり、現在も多くの人が節をしのんで訪れています。
下妻市おすすめ観光案内 関東最古の八幡様 大宝八幡宮

〒304-0022 茨城県下妻市大宝667
TEL: 0296-44-3756 FAX: 0296-43-2286
大宝元年(701)、藤原時忠公が筑紫(つくし)の宇佐神宮を勧請創建したのがはじまりです。天台宗の古い経文の奥書に「治承三年(1179)己亥七月二十二日の未時書了於常陸州下津間八幡宮書了兼智」とあるため、平安末期にはすでに八幡信仰が盛行していたことがわかります。平将門公も戦勝祈願のために度々参拝し、当宮の巫女によって新皇の位を授けられたと伝えられています。
「吾妻鏡(あづまかがみ)」に下妻宮(しもつまのみや)としるされ、文治五年(1189)、奥州征伐平定の日、源頼朝公が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し摂社若宮八幡宮を創建されました。
寛政七年(1795)には光格天皇より額字及び御紋付幕を賜り、明治十九年には北白川宮より幣帛料が進納せられ、徳川家からは社領百十五石が寄進され代々の朱印が付されて現存します。代々の大宝城主、下妻城主の崇敬がことのほか篤かったと伝わっております。
下妻市おすすめ観光案内 小貝川ふれあい公園 ネイチャーセンター


つくば市おすすめ観光案内 筑波山


つくば市おすすめ観光案内 筑波山神社


つくば市おすすめ観光案内 筑波研究学園都市 エクスポセンター


つくば市おすすめ観光案内 筑波研究学園都市:松見公園・洞峰公園


所在地:〒300-2706 茨城県常総市新石下2010
電話:0297-42-0169
FAX:0297-42-0596
設備:1F ホール ロビー/2F ホール 図書室/3F~6F 展示室/7F 展望室
常総市の石下地区は、はじめ「イシケ」と呼ばれ、「イシ」は砂河原、「ケ」は作物・食物の意味があり、農耕に適した土地であったことが考えられます。5世紀頃から「伊師毛」と記され、和銅6年(713)に「石毛」に変わり、江戸時代の寛永7年(1630)の検地により「石下」と改められました。